1993-04-27 第126回国会 参議院 商工委員会 第8号
これは、今委員もおっしゃったように、国の成長過程においてそれぞれ教育観念というものも、哲学というものもやはり変わっていくことだと思います。しかし、基本的にはやはり人間は働くことがとうといというこの考え方は、私は捨てちゃいけないと思う。
これは、今委員もおっしゃったように、国の成長過程においてそれぞれ教育観念というものも、哲学というものもやはり変わっていくことだと思います。しかし、基本的にはやはり人間は働くことがとうといというこの考え方は、私は捨てちゃいけないと思う。
こんな教育を、具体的に、不幸せな人はその人の先祖が徳の積み方が足らないんだという教育観念を植えつけている教科書を、調べるも調べないも、あなたの方がそういうことを文部省の検定の中で出しているわけなんです。そんなたわいない話をしてもらっては困るわけで、すでに兵庫県もこの問題については遺憾の意、あるいは詳しくこれに対する指導をしていくという見解を持っているわけなんです。
そして、ちょうど、いま、われわれがみたような各人各様の社会教育観念とおなじような調子の例がこれにつづいている。また、アメリカの有名な歴史家J・T・アダムスが一九四四年に書いた成人教育論のなかで、成人教育とは「ごちゃまぜ」であり、「ごった煮料理」であるといい、成人教育の領域に分けいると、あまりの錯雑さに生きた心地もなく、アフリカのジャングルのまんなかにただひとり。
ところが、儒教主義の教育に育成されてきた教育家は、社会を中心とする倫理道徳、教育観念をみずから確立するところの能力をもつていない。殊に教育勅語一点ばりの教育を永く奉じてきた初等、中等学校の教師は、今や何によつて教育すべきが、呆然自失しているのが現状であります。かくて教育思想は昏迷に陷り、わが教育はまさに崩壊の危機をはらんでおるのであります。